ワルハラ宮内。

帰城したジークフリートとフェンリルのうち、フェンリルは医務室で医療従事者による診察を受けていた。

フェンリルが語った皇闘士ラグーナシャールヴィにもたらされた情報のほとんどは、ジークフリートからアルベリッヒに伝えられ、

代行者ヴォルヴァの命により、フェンリルの規律違反に対する処分は一時棚上げされることとなった。

ミザールのシドは帰還した兄バドに、行われた協議の結果を伝える。

話を聞いてから、バドは弟に告げた。

「雷霆神か。凄まじい相手と戦うことになるな」




ワルハラ宮の一室に、神闘衣をまとったアルベリッヒとミーメがいた。

出撃の時は、刻々と近づいている。

「まずいな」

アルベリッヒは苦々しげに呟く。

ミーメが視線を向ける。

「"神闘士のことは何でも知っている"……つまり、皇闘士ラグーナどもはこちらの手の内をすべて知っているということだ。

そして我々に皇闘士の技や特性、弱点などの情報は全くない。どちらが有利に立つかは言うまでもなかろう」

そして彼は考えた。

(元からネイチャー・ユーリティーの知識を与えられていたのならば、あの時奴らが引っ掛からなかったのも当然のこと)

内心で苦笑いを浮かべ、ミーメを見る。

皇闘士ラグーナの小僧が名前を出したのは光神ヘイムダルだという。皇闘士の情報源と考えていいだろう。

ヘイムダルについて伝えられる神話の中には、奴が人間界にやって来て人々の間に身分を作った、というものがある。

それ自体は事実というわけではなくただのたとえ話に過ぎんだろうが、

つまりヘイムダルとはそうした神話が残るほど人間界に近い神であった、ということだ」

アルベリッヒは顎に指をあてて続ける。

「……思うに、ヘイムダルは先の指輪の変の際、実はすでにアスガルドに降臨していたのではないか?」

ミーメはじっとアルベリッヒを見ている。

「奴が我々と聖闘士の戦いの一部始終を見ていたとすれば、"神闘士のことは何でも知っている"のも納得できる」

アルベリッヒは思い起こしていた。

崩壊した別邸跡に降臨した光神ヘイムダルの、遠目にも目立った夜風に翻る長い白金の髪と、涼やかな顔つきを。

「あなたの推測が正しいとすれば」

ミーメが言った。

「ヘイムダルには指輪の変を止める気もなかった、ということになりますね」

アルベリッヒはミーメを見てにやりと笑う。

「フン。どれほどありがたい神なのか、わかろうというものだな」

「ヘイムダルという神の名は、世を照らす光を意味する。ゆえに世に異変が起こりし時、北天の五つ星を先導する。そう伝えられているそうです」

怪訝さを露にするアルベリッヒだが、すぐに目を細める。

「確かに、隣国ヴァナヘイムにはそうした神話が存在する。貴様の生まれ故郷だったな」

「実際に育ったわけではありませんが」

「ならばどこからその知識を得た?」

「追放刑の期間中に」

答えてミーメは口を噤む。

「なるほどな」

言葉を返したアルベリッヒは、内心で考えていた。

(アスガルドに留まれば無法者に襲われる危険性が高い。大して交流もないヴァナヘイムに逃げこんだか。

おそらく、そこでも馴染めずに逃げ帰る羽目になったのだろう)

彼は唇に嘲笑を浮かべるが、

(それとも)

ふと考えが浮かんだ。

もしかすると、オーディーンが星を通じて彼を呼び戻したのか。

そもそもミーメはアスガルドの民ではなく、隣国ヴァナヘイムの生まれ。

(考えてみれば妙だな。何故オーディーンは、アスガルドの民以外から神闘士を選んだのだ? いや、それだけではない――)

アルベリッヒは再度、目の前の男を見る。

この男――ベネトナーシュのミーメはある不名誉な呼び名を持ち、それゆえ本来なら、神闘士に選ばれる資格を持ち合わせる事もないはずだった。

彼は消えることのない業を背負った男。

アスガルドの人々は、彼をこう記憶している。

親殺し。勇者殺し。

四年前のこと。15歳だったミーメは、その養父である当時のアスガルド一の勇者、フォルケルを殺害した。

捕らえられたのち追放刑に処され、真っ当な人々が暮らす世界に生きることを二度と許されないはずだったのだが、

ミーメは神闘士に選ばれ、その時に恩赦された。

アスガルドの人々のミーメに対する反応は、今は二分されている。

神闘士として一目置くものと、親殺しの罪人としてなお忌避するものと。




アルベリッヒはふっと笑った。

「俺は父に聞いたことがある。国一番の勇者フォルケルは養子を取っているが、

ぜひ近衛兵養成所ヴィーンゴルヴに入門をとの再三の誘いをはねつけ、手塩に掛けて技を仕込んだ、とな」

ミーメは、思いを全く伺わせない目でアルベリッヒを見る。

「我がアルベリッヒ家はフォルケルと殊更親しいというわけでもなかったが、つながりはないでもない。

かつて俺の父、先代の宮廷祭司だったアルベリッヒ18世が参加した極秘の会議には

当時の沈黙の一族の長と貴様の養父・勇者フォルケルも参加していた。

アスガルドと隣国ヴァナヘイムの間に戦が起こる、数年前のことだ」

アルベリッヒは腕組みして続ける。

「ヒルダ様の先代である地上代行者・ブリュンヒルド様の許行われたその会議で、雷霆神フロルリジの依り代となる赤子の遺棄が決定された。

つまり、フォルケルは神の依り代……のちのフェクダのトールの事を知っていたのだ」

ミーメは一言も発することなく聞いている。

「神の依り代が存在するということは、いずれアスガルドに何らかの異変が起こる。

フォルケルはそう考えた。ゆえに、星の宿命を見たお前を我が手で鍛えることを選んだのだろうな」

その時、部屋の扉が開く。神闘士二人は顔を向ける。

フェンリルが立っていた。

ミーメはその表情を見て思う。

以前の彼とは明らかに変わった、と。

その眼には、以前見られなかった強い決意が漲っている。

「処分は一時保留か。命拾いしたな」

アルベリッヒが笑って声をかける。

フェンリルは無言のまま入ってきた。

皇闘士ラグーナの小僧が貴様の家についてウルヴヘジンの血筋と言ったそうだが、その件について調査してやったぞ」

アルベリッヒは机の上に置かれた書物に手を置いた。

「この紋章図鑑はアスガルドの貴族たちの紋全てを収録している。

ワルハラ宮書庫にあり本来は持ち出し厳禁の書物だが、今は危急の時。ヴォルヴァ様の特別の御許可で、貴様たちも閲覧できるのだ」

アルベリッヒは二人の前に書物を広げてみせる。

フェンリルは目を見張った。

そのページに描かれていたのは彼の生家、フェンリル家の紋章だった。

「久しぶりに見ただろう?」

アルベリッヒがにやりと笑う。

「説明にはこう書かれている。この反対を向いている二頭の狼は、ゲリとフレキであると」

二頭の狼の絵柄を指し示し、顔を上げたアルベリッヒは二人に言った。

「わかるか?」

「……オーディーンの神獣、ですか」

ミーメが言い、

「そうだ。オーディーンは世界を飛翔し、あらゆる情報を集めるというカラスのフギンとムニンの他にも神獣を持っている。

王宮ヴァルホルにある時、玉座の脇に常に侍らせているという、ゲリとフレキと呼ばれる狼がそれだ」

アルベリッヒは狼の下の意匠……狼の頭に向けて置かれた、交叉している剣を指した。

「そしてその下の剣は、それぞれゲルギヤ、スヴィティと呼ばれるとある。

神聖なるオーディーンの膝元であるアスガルドを知らぬ俗人どもは、

それを巨狼フェンリスウールヴを拘束するために使われた足枷と巨石の名、と理解している」

「父さん……父に聞いた事はなかった」

紋章を見つめていたフェンリルが、ぽつりと呟いた。

「貴様の両親は10年前事故死したそうだな。告げる時間がなかっただけだろう」

アルベリッヒが言った。

「フェンリル家はイプシロン星アリオトの位置に対応する土地に建てられた。故にここワルハラ宮と城下街からは相当離れており、

貴族たちと密接な付き合いはなかったと聞くからな」

はっと顔をあげ、アルベリッヒを睨みつけるフェンリル。

「お前……なぜそれを知ってる!」

「俺を誰だと思っている?」

得意げな笑みを浮かべ、アルベリッヒはフェンリルをねめつける。

「アスガルドで知恵と知識に並ぶ者なき全知(アルヴィース)の家系、アルベリッヒ家当主だぞ。ついでに一つ忠告しておいてやる。

貴様がフェンリル家次期当主に返り咲きたいというのならば、まずは他人に対する礼儀を覚えるのだな」

フェンリルは唇を嚙みアルベリッヒを睨み続けているが、冷笑を返したアルベリッヒは再びページの上の紋章を指した。

「つまりフェンリルよ。狂える戦士ウルヴヘジンの血筋という貴様の家系の紋章は、オーディーンの神獣を模っているのだ。

さらに出てきたのが"女神アテナの仲間の戦神"……」

一拍おいてアルベリッヒは言った。

「ビルスキールニルに出陣する前に、もう一度集まった方が良さそうだな。ミーメよ。束ね殿に伝言を頼めるか」

「――わかりました」

アルベリッヒの伝言を聞いたミーメは、部屋を出ていった。





フェンリルとも別れ部屋を出たのち、アルベリッヒは紋章図鑑を小脇に抱え、ワルハラ宮書庫に続く廊下を歩んでいた。

彼には、神闘士たちに告げるつもりのない疑問があった。

立ち止まり、窓の外へ目を向ける。

(何故、オーディーンの神獣を紋章に持つ貴族が、フェンリル家を名乗っているのだ?)

北欧神話に伝わる世界終末戦争・すなわちラグナロクにおいて、よりにもよってオーディーンを食い殺すと伝えられている巨狼の名を。

ましてやフェンリル家は、屋敷が北斗七星に対応して建立されたことからも推察できるように、

必ず神闘士が選ばれる家系。

それが一体何故。

アルベリッヒがこれまで蓄積してきた知識を以てしても、答えは闇の中だった。

窓の外では幾度も雷が轟き、闇に沈んだアスガルドの風景が、稲光によって照らし出される。

雷霆神フロルリジによって引き起こされているのであろう同時多発雷は、アスガルドを脅かし続けている。

「ひょっとすると当主の死、そして没落と同時に封じられたも同然の秘密が、フェンリル家にはまだあるのかもしれんな」

その光景を眺めながら、彼は小声で呟いた。 





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