扉を押し開け、部屋に入ったフェンリルは

白銀に青の縁取りのある鎧とヘッドギアをまとった金髪の少女の姿を見た。

歌声は止み、少女はフェンリルを睨みつけてくる。

しかし彼女が身に着けているのは鎧だけではなかった。

「……」

目を細めるフェンリル。

鎧の上に被せるようにして、奇妙な装身具を少女は着けていた。

首の両脇に、イノシシの牙を思わせる突起が取り付けられ、

背中から光背のように、6本の細長い装身具が伸びている。

フェンリルと少女は対峙し、睨みあう。

やがて彼女は口を開いた。

「昔、スヴェイグジルという王がいた」

彼女――トールの村の娘スルーズ、皇闘士ラグーナとしてはスカディと名乗る少女は続ける。

「オーディーンを探して諸国を巡り、小人に誘い込まれて巨石の中に入り、二度と出てこなかった。

その息子はヴァランディと言った。秘術セイズにかけられ、夢魔に踏みつけられる夢を見て悶死した」

声はさらに続いた。

「昔、エギルという王がいた。晩年森で暴れた猛牛を単身倒そうとして、角に刺し貫かれて死んだ」

「……」

少女が何を言っているのか、よくはわからない。

ただ、どうやら伝説らしいと見当はついた。

フェンリルは何も言わずに彼女を睨む。

「“木樵きこりのオーラヴ”王の治世のとき、凶作になった。豊作になるのも凶作になるのも王のせいだから、王は責任を取らされ屋敷もろとも焼き殺された。

わかる? 王たちの死の意味」

彼女は冷たい目をしてフェンリルを見やる。

「北欧の地では、用済みの王はそうやって不思議な死に方をすることで、代々オーディーンの犠牲になる。

それが最期の役目なのだと、ヘイムダル様がおっしゃっていた」

「またそいつか」

フェンリルは小さく吐き捨て構えを取る。

頭を低くした獣の姿勢。

「それが昔からのしきたりなんだよ。オーディーンの地上代行者も同じ。あの女、ヒルダはアスガルドの地を守れずオーディーンの顔に泥を塗った、

能無しの用済み。だから犠牲になる道しか残ってないのさ。

今回はオーディーンじゃなく、死の軍船ナグルファルのための犠牲だけどね」

少女の声に嘲りが混ざった。

「神様の決めたことなんだから、邪魔しようとか無駄なことは止めなよ。アリオトのフェンリル」

「黙れ」

フェンリルは吐き捨てる。

「言ってもわからないか、狼には」

少女も足を引き、構えを取りフェンリルを睨みつける。

その手には腰の鞘から引き抜かれた短剣があった。

「グラーバク! グラフヴェルズ!」

短剣を前方に突き出し、少女が叫ぶ。

フェンリルの両側から、何かが二つ急激に伸びあがる。

会議で話されていた、この女の蛇を呼ぶ術。

瞬時に判断し飛び退く。

「グラフヴィトニル! 行け!」

再度少女が叫んだ。

フェンリルの頭上から襲い掛かる二匹の大蛇、さらに大きな一匹がフェンリルの正面から襲い掛かる。

フェンリルの動きは蛇たちより早かった。

数回の蜻蛉返りでさらに後方に退くと、

「ウルフ・クルエルティー・クロー!」

必殺の拳を放つ。

蛇たちは苦悶して仰け反り、現れた地面に再び隠れた。



その様子を見て。

(神闘衣をまとった神闘士には、ユグドラシルの蛇は通用しない……ヘイムダル様の言ったとおりだ)

スルーズは思った。

いま彼女が身にまとう装身具のようなもの――正式名称は、神器ヒルディスヴィーニ。

雷霆神フロルリジから、最古の二神を通じて与えられたものである。

「レージング!」

そう叫んでフェンリルを指さす。

彼女の首を取り巻く牙の装身具が光を放った。



フェンリルの両腕の周りを、奇妙な渦が取り巻く。

渦が薄れた時、彼の両手首の周りには枷があった。

「なにっ」

両腕を封じられたフェンリルを見て、スルーズの顔に笑みが浮かぶ。







ミザールのシドとアルコルのバドは、扉を開け入室する。

部屋の奥にいたのは、鎧をまとった男だった。

「久しぶりだね、シド。前に会ったのはほんの数日前だったはずだが……随分長い時が経った気がするよ」

男はそう言った。

その男、皇闘士ラグーナダーインのグンターは名門ディートリッヒ家嫡男、侍従長グンナルの息子。

同じくアスガルドの名門であるシドの生家・フルドゥストランディ家とディートリッヒ家は古くから付き合いがあり、

当然二人には面識があった。

目を細めたシドは、周囲を見て取って思う。

(まるで気配がない。秘術セイズ使いの女はここにはいないということか)

では女の声はどこから聞こえたのか。

目の前に立つダーインのグンターは、腰から剣を下げ、片手に薄く小さい板のようなものを持っている。

(あれか?)








「奴は最古の二神の一柱か?」

ハーゲンが構えを取る。

アルベリッヒは答えず、扉との距離を測っている。

戦神テュールの手が動いた。

「Das erstes heilige Schwert」

厳かな声と同時に、その手元に突如剣が浮かぶ。

「グラシーザ」

声と共に剣は飛ぶ。

同時にハーゲンとアルベリッヒは殺気を感じ、頭上を見上げた。


戦斧ノ世スケッギョルド

冷たい声と同時に二人の頭上から、巨大な剣の刃が振り下ろされた。








「ようこそ、フロルリジ様の館ビルスキールニルへ。オーディーンに寵愛されし者、竜殺しのヴェルスングよ」
 
優美な笑みを浮かべた光神ヘイムダルが、朗々と言った。

「ヒルダ様はどこだ」

ジークフリートは二柱の神に問う。

「そなたは『オデュッセイア』を知っているかね? ホメロスによる著名な叙事詩だが」

唐突に、まるで無関係な台詞が光神の唇から飛び出した。

「古代ギリシャの知将オデュッセウスは、故郷へ帰る道すがら冥界へ立ち寄った。

そこで亡者たちと話すため牛と羊を犠牲に捧げたのだが、それは亡者が生き血を好むからなのだよ」

ジークフリートはまるで表情を動かさなかったが、その青い瞳に怒りの炎が揺らぎ始める。

「先の北極星の娘は今、神の船スキーズブラズニルの舳先に戒められている。

じきにフロルリジ様が冥界の短剣・飢餓を意味するスルトをもって娘の喉を裂く。

その生き血はシンプリ・スンブルにより冥界から此処まで航行してくる、死の軍船ナグルファルの亡者たちに捧げられよう」

言葉がすべて終わる前に、ジークフリートは雄たけびをあげ

その拳から光が放たれ、真っ直ぐに光神を襲った。

しかし。

「ふむ。良い拳ではあるが、私に傷一つつけられぬようではフロルリジ様のお相手には程遠い」

蚊が刺したほどにも感じていない様子で、ヘイムダルはにっこりと笑った。

「そなたにはこれより試練を与えよう。先の北極星の娘に会いたいのならば、死力を尽くしなさい」

言葉と同時に、突如ジークフリートの足元の床が開いた。

落下の寸前、ジークフリートは見た。

微笑む光神とその隣に立ち、一言も発しなかった戦神。

戦神の身体から立ち昇る、蒼い霊気オーラ。その小宇宙の正体。




昔から感じていた違和感。

悪を決して喜ぶな。

善を得るようにつとめよ。

箴言を通じて、そう民たちを諭した神であるオーディーン。

その同じオーディーンが、伝えられる伝説によれば数多の王たちを奇怪なやり方で死に追いやったという。

これまでジークフリートは、内心そのことがどうしても納得できなかった。

だが今、戦神の小宇宙と光神の言葉で、ジークフリートは確信した。




(オーディーンの名のもとに、人間の犠牲を望んだのは貴様たちか!)




心に叫びつつ、ジークフリートは地下深くへと落下していく。 







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