精霊たちを薙ぎ払いながら、シドの脳裏に思い起こされたことがあった。



アスガルドの民たちの避難誘導に時間を取られ、一人会議に参加できなかったバドに会議の内容を伝えた際。

シドは意を決して、次のことを付け加えた。

「兄さん。皇闘士ラグーナの中に、唯一私の知る男がいます。兄さんにも知っていてもらった方がいいかと」

「誰だ」

「名門ディートリッヒ家の嫡男グンター。侍従のひとりとして、ワルハラ宮に仕えていました」

兄バドは自分と同じフルドゥストランディ家に生まれた身でありながら、グンターのことは全く知らないのだ。

その事実は今でも、シドの胸に痛みを覚えさせる。

「どんな奴だった」

「どちらかといえば控えめな男でした。アスガルドを裏切るようには思えなかった」

「そいつとは昔から知り合いなのか」

「ええ。同じ学び舎のフレーグンナゴルヴに通っていました」

「シドよ」

バドは眉を寄せていた。

「その堅苦しい物言いはなんとかできんのか」

「あ……すみません」

少々気まずい沈黙が流れたが。

「まぁ、かまわんか」

兄はすぐに打ち切ってきた。

「しかしそいつは名門に生まれながら、なぜ雷霆神についたのだ?」

「……そこがどうしてもわからないのです」

「ならば直接聞くしかないだろう。うまく会えたとしての話だが」

「……そうですね」




兄との会話のさなか、シドはふと昔のことを思い出す。

アスガルドの貴族の子弟たちのための学び舎・フレーグンナゴルヴ。

少年時代、名門フルドゥストランディ家の嫡男であるシドも、

同じく名門のディートリッヒ家嫡男であるグンターも通い、

馬術に水泳、基本的な護身術や剣・弓矢など武器の扱い、またアスガルドの歴史、

オーディーンをはじめとするアース神族にまつわる、様々な詩や記録などを学んだのだった。



当時のグンターはおどおどとした、覇気のない子供だった。

要領も悪くそれゆえに、周囲の少年たちの格好のからかいの的となっていた。

少年の日のシドは大勢で一人を愚弄する卑劣な行為が許せず、よくグンターを庇っていた。



奴はなぜ雷霆神に与したのか。

そもそも選ばれた皇闘士ラグーナたちはなぜ、自身の祖国でもあるアスガルドを破滅させる目的を持つ雷霆神に平伏し、進んで手を貸しているのか。



ビルスキールニルから、単身乗り込もうとしたフェンリルを連れ帰ったジークフリートに聞いた話では

彼が倒した皇闘士ラグーナの一員である少年は……フェンリルによると、シャールヴィという名前だったらしい……

雷霆神フロルリジに心酔した様子だったという。

(ならば、グンターが皇闘士ラグーナとなったのも同様の理由なのか?)

考えても答えは見えない。

バドの言うように、会えた時本人に聞く以外知る手立てはないのだろうが。




そう考えていたシドの耳に届いた、バドの声。

「そのグンターを含めた皇闘士ラグーナを選んだのは、最古の二神とかいう連中らしいな」

「ええ、そのようです」

「ろくな意図ではない、という気がしてならん」

「どうしてそう思うのですか?」

「理由はない。だが先の異変の経緯を見ても、神など元からろくな奴らではなかろう」

不快な表情を隠そうともせず、双子の兄は吐き捨てた。




バドよ。

女神アテナが封印した邪悪と、仮にも我らが神オーディーンに仕えた随神たちを同じに見るのは。

そう反論しようとして、シドは思い止まった。

女神アテナが封印した、アスガルドに災いをもたらした邪悪。神話の時代、海を制していたという神。

その魂が封印されたという北極海に面する北欧の国々では、古くから"海の王"―――海皇を様々な名で呼んできた。

恐れの記憶があったのかもしれない。封じられてなお、虎視眈々と地上を狙う邪悪。

兄の言うように、今彼らのやろうとしていることを見れば、海皇レイヴニルも二神も大差はない。

であるならば、グンターはじめとする皇闘士ラグーナとなったアスガルドの民たちは、

二神にいいように利用されているだけという可能性が高くなる。




二神が皇闘士ラグーナたちを利用しようとしているのだとすれば、一体なんのためになのか。

そういえば。

つい先ほどグンターは言った。アスガルドを父祖の国と呼ぶには値しないと。




だが今はそれを考えている場合ではないな、と内心シドは苦笑し、

「タァッ!」

襲い来る精霊たちに、氷結の拳を放ち続ける。

「シドよ! 知っているかい?」

その様子を見ていたグンターが、声を張り上げた。

「我が皇闘衣レギンローブがかたどる、北曜第三星ツィーにまつわるハミンギャ……すなわち守護獣はダーイン。

"死"を意味する名を持ち、宇宙樹ユグドラシルを蝕む四頭の牡鹿の筆頭だ。

そしてもう一つの意味がある」

言いつつ、手にした枝分かれ済の剣を目の前に捧げ持つ。

「太古の昔、欧州大陸においてドンナーと呼ばれし雷霆神フロルリジ様に捧げられた、聖なる樹木に宿りし雷神の使いがLucanus cervus.

その外見は牡鹿に例えられたという――――DONNER HIRSCH KAEFER!」

グンターは剣を振り上げた。

両側の壁に、またしても異様な気配が発生する。

精霊たちの大顎の先端が、次々と突き出てきた。

一瞬顔を顰めたシドだが、続けざまに両側の壁目掛けて凍結拳を放つ。

すると精霊たちの一部がもぞもぞと蠢き、壁から飛び出し連続でシドに襲い掛かる。

腕を振るって精霊の大顎を弾き飛ばすシドだが、反対側の壁からも同じように何匹か精霊たちが飛び出す。

その突進が神闘衣に当たり、衝撃に刹那顔を歪める。

「DONNER PUPPENとの差は、少数ではあるが飛行して攻撃できる点だ!」

そう声をかけつつ、グンターは考えていた。

シドの小宇宙は強靭といえども無尽蔵なわけではない、いずれは力尽きる。

そこにこの剣を振るえば、勝利は確定。

しかし、そう思慮しつつ顔に浮かんだ笑みが瞬時に凍り付く。

突如背後から肩を掴まれ、身を強張らせて振り向こうとした刹那に頬を張り飛ばされていた。



ようやく、衝撃から立ち直り顔を向けると、

全身を白い鎧に包んだ男が立っている。

色以外は、シドと寸分違わぬ姿。

その手には、彼が先ほど皇闘衣レギンローブに隠した板切れのような"道具"。


「な……なっ!」

グンターは目を見張った。

(馬鹿な……一瞬にも満たない時間で奪われたというのか!?)

白い鎧の戦士は、手にした機械を怪訝な表情で見ていたが。

「うむ……これか?」

その表面に指を押し当てた。




部屋の中に流れ出す、女の歌声。

グンターはその様子を呆然と凝視するよりほかはない。

精霊たちを相手にしていたシドは目を見張る。

彼に襲い掛かっていた精霊たちは、壁の中へ、床の中へと潜るように消えていった。

やがて、女の歌は終わる。

「な……何故だ……?」

グンターのかすれた声。

「よくわからんが、これにVarðlokurの文字が見えたものでな。あとは適当にやってみた。

この部屋に入った時お前がやっていたように」

バドは手につかんだ板切れのような"道具"を、その場で握り潰した。

「こいつをそのまま破壊したのでは、精霊どもは"帰らない"のだろうが」

「し……知っていた……のか……」

青ざめた唇から呟かれた言葉。

険しい表情でグンターを見下ろしているバド。

「そうか……こうやってアスガルドを救ったというわけだね……影の神闘士たる、シドの兄上」

その言葉を耳にして、バドの目に刹那怪訝な光が過った。

だがそれはすぐに消え去る。

「兄さん!」

精霊たちから解放され、床に降り立ったシドが声をかけた。

「これでこいつは精霊を使えん。あとは存分に戦え」

「はい。ところでヴァルズロクルとはなんですか?」

「部屋に入る前に聞こえた歌、あれはヴァルズロックル。精霊を呼び出すための歌。

ヴァルズロクルは逆に帰すための歌だ。

俺が育った村には年に一度巫女が来ていた。かなりの年だったが、

占いのため精霊を呼び出すには専用の歌が必要ということで村の若い女が歌っていた。それとよく似ていた」

「そう、それが召喚ノ呪歌、ヴァルズロックルだ。シド、君は知らなくて当然だが兄上がご存じだったか。とんだ番狂わせだよ」

「先ほどの板切れは歌を流すためのものだった、というわけか」

「正確には違う。あれはアスガルドの外では、今や持たぬ者のない携帯精密機械とか。

ヘイムダル様によれば歌を保存しいつでも再生する以外にも、さまざまなことができるのだそうだ。

ただここアスガルドでは使うための設備が何もないため、用途は限られるとのことだったが」

「その召喚呪歌を歌ったのは女皇闘士ラグーナか?」

シドはグンターに問う。

「そうだ。精霊の召喚呪歌は女が歌わなければ効果はない。

皇闘士
ラグーナ
に女はただ一人、秘術セイズ使いでもあるフリムファクシ。

彼女が歌ったものだ」

「これで振り出しだな。貴様もアスガルドの戦士ならば精霊に襲わせるなぞという卑怯な手に頼らず、正々堂々と戦え」

バドはグンターを冷たく見据えつつ言った。

「確かに、精霊たちはもう出てこない」

立ち上がったグンターは、

「だが君たちに勝ち目のないことに変わりはない!」

そう叫び、雄たけびを上げると手にした剣を真下の床目掛けて突き立てる。

「神の武器に、人間が敵うはずもないからだ!」

床下から異様な音が発生した。

「ミエッカタンシ・パルヴォネン!」

床から、続いて壁から、さらには天井からも、巨大な鋭い刃が連続で突き出してくる。

二人の神闘士は左右に分かれ、咄嗟にかわした。

「この欺瞞の国は終末を迎え、フロルリジ様の新たなる館となるギムレー、太陽の屋根なき館が取って代わるのだ!」

グンターが狂気じみた笑い声をあげた。

 





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