雷神トールの「別名」解説をやってみたいと思います。(途中どうでもいい個人的事情も入っていますが、ご容赦ください)
きっかけは、手持ちのCDをなんとなく漁っていて、アイスランドオーケストラ演奏・ヨーン=レイヴスの「EDDAⅡ」の歌詞カードをしげしげと見た時でした。
トールは「アトリ」と呼ばれ、「アーサブラグ」でもある。
彼は「エンニラング」で「エインドリジ」だ。
「ビョルン」「フロルリジ」そして「ハルズヴェーオル」
「ヴィングトール」「ソンヌング」「ヴェオードル」「リムル」。
……よく考えたら一体なんでしょう、これ?(笑)
出典は「The Language of Poetry(NafnaÞulur)」となっています。
英語検索してようやく意味がわかりましたが、NafnaÞulurとは
『スノッリのエッダ』第二部「詩語法」の巻末についている"別名集"なのだそうです。
うぅーむ、やはり『スノッリのエッダ』完訳版て必要なんじゃないでしょうか!
北欧神話は書籍はそれなりの数出ていますが、ほぼ紹介ですし。
「詩語法」の翻訳入り書籍は大学にしか置かれてませんし、なので私は地元の図書館から依頼書を提出してもらって
某大学にコピーもらいにいきました。1枚40円だから、「エッダ序文」と第三部「ハッタタル」も合わせて4,000円支払いました。
やっただけの収穫は十分得ましたが、それでも別名集はなかったし、第一部『ギュルヴィたぶらかし』には(英語版を見ると)
日本語訳本からは省かれたらしき"ブラギの語り"なる謎パートもありますし……
(この謎パート、個人的には結構そそられる内容なのですが"北欧神話"として考えたらぶち壊し必須でしょう)
いやマジに、完訳版希望したいです!
で、話を戻して。
その「詩の言葉(原題を直訳すれば名前の覚書、といった感じでしょうか)」のトールの別名を見ていきます。
(別名の綴り・意味などについては『北欧とゲルマンの神話事典』(原書房)、『北欧・ゲルマン神話シンボル事典』(大修館書店)を参考にしています。)
別名 | 読み方 | 意味 | 備考 |
Atli | アトリ | 恐るべきもの | アッティラの北欧名と同じアトリなのかー、と思ったんですが 「詩の言葉」冒頭に挙げられている"海の王"の別名にも入っているので、 ありふれたものなのかもしれません。 |
凶暴な男 (シンボル事典) |
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Ásabragr | アーサブラグ | 主要なアース、第一のアース | 『グリム小事典』(下宮忠雄・文芸社)の「ブラギ」の項目においてbragrの語が登場し、「ása bragr(deoum princeps)はトール(Thor)を指す」と出てきます。 そういえばオーディンの別名のひとつに"スリジ"がありますが、 これは「第三のもの」=third いわば三番目の神という意味なんですよね。 |
アース神族の王子 (神話事典) |
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Ennilangr | エニラング | 頭を上げたもの (シンボル事典) |
とりあえず、頭に関連してるらしく。 |
大きな額 (神話事典) |
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Eindriði | エインドリジ (エインリジ) |
1人で馬に乗るもの (シンボル事典) |
つまり、riðiは英語にすればriderになるようです。 |
孤独な騎手 (神話事典) |
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Björn | ビョルン | クマ (神話事典) |
後述 |
Hlórriði | フロルリジ、 フロールリジ |
騒々しい騎士。 嵐の概念が含まれる (シンボル事典) |
『神話事典』に「最も頻繁に見られる」トールの別名とあるように、 エッダ詩においてトールをフロルリジと呼んでいる詩編は 「ヒュミルの歌」「スリュムの歌」「ロキの口論」の3つあります。 |
騒がしい騎手 (神話事典) |
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Hardvéorr | ハルドヴェオル (ハールドヴェウル) |
強い守護者 (シンボル事典) |
『シンボル事典』の綴りはHARDVÉURになっています。 |
VingÞórr | ヴィングトール | 武器をふるうトール | 「スリュムの歌」冒頭に出てきます。 『シンボル事典』では"ヴィングニル"の称号をオーディンとトール両方のものとし、 「武器を振りかざす神」としています。 |
Sönnungr | ソンヌング | 正直者 (シンボル事典) |
ぴったり。 |
Véoddr | ヴェオド(ヴェウド) | 神殿の番人 (シンボル事典) |
『シンボル事典』 には、「トールが祭式と祭壇の神としての役割を担う際の別称」とあり、 同じ意味の別称として「ヴェトールム(VÉTHORM)」も載っています。 また、「ヒュミルの歌」でトールはヴェーオル(Veorr)と呼ばれています。 |
Rymr | リムル | 轟く者 (神話事典) |
後述 |
備考に後述、と書いた二つの別名について。
「熊」を意味するビョルンについて、『神話事典』は次のように解説しています。
「オーディンの別名の一つ。ベルセルクの首領としての役割を指しているのだろう。」
トールの別名って書かれてるのに……。ぴえん
ただこの項目には参考文献があるので、そちらに書いてあったのかもしれませんが。
この"熊"が、野性の戦士ベルセルクのまとうとされるクマの毛皮を指すのか、クマのように大きく力のある(時に凶暴な)神としてのトールを指すのか、
という解釈の違いでしょうか。
そして後述と書いたもう一つの別名・リムルですが。
どこかで聞いたような? そう、『転生したらスライムだった件』の主人公と同名ですね。
ぶっちゃけ古い人間なので、『転スラ』はほぼ名前しか知らないのですが(^^;)
以前偶然に見たアニメ転スラでは、天狗(作中では長鼻族でしたか)について"本来は天の犬が語源である"という解説が確か出ていて、
目の付け所がすごいなーと思ったもので。
ざっくり検索してみた限りでは、主人公リムルの名はremoveが俗語・ネット言語化した「リムる」が由来とされていることもあるようですが
その場合、"取り除く・追い払う"といった意味になるのでしょうか。
しかし、転スラ主人公のフルネームは"リムル・テンペスト"とか。
言うまでもなく、テンペストは「大あらし・大暴風(転じて大騒動)」を意味します。
単なる個人的憶測でしかありませんが、大嵐という名前の部分と何かしらの関連があるとするなら、
リムルの名前が、北欧の雷神トール(つまり、嵐にも大なり小なり関係する存在)の
あまり知られていない別名である"リムル"に関わっている可能性もあるのではないでしょうか?
参考文献
『エッダ ――古代北欧歌謡集』谷口幸男・訳 新潮社
Jón Leifs EddaⅡ schola cantorum/Iceland SO/Hermann Baumer BIS Records AB,Sweden 2019
『グリム小事典』下宮忠雄 文芸社
『北欧とゲルマンの神話事典 伝承・民話・魔術』クロード・ルクトゥ 篠田知和基・監訳 広野和美、木村高子・訳 原書房
『北欧・ゲルマン神話シンボル事典』ロベール=ジャック・ティボー 金光仁三郎・訳 大修館書店